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福岡高等裁判所 昭和35年(う)674号 判決 1960年8月23日

被告人 目野武男

主文

原判決を破棄する。

本件を大分地方裁判所に差し戻す。

理由

検察官の論旨は要するに、原判決は、本件公訴事実は出国方法、出国場所が不明であり、出国日時については約七年八月間というきわめて長い期間のうちの一時点として表示されているにすぎないので、本件公訴事実は特定せず公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとして公訴を棄却しているけれども、本件公訴事実は特定されており、本件公訴の提起は適法であるというに帰する。よつて本件公訴事実の特定の関係について検討することとする。

本件起訴状に示された公訴事実は「被告人は日本人であるが昭和二七年四月頃から昭和三四年一二月上旬頃までの間に有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦から本邦外の地域である中華人民共和国に向け出国したものである。」という出入国管理令第六〇条違反の事実である。ところが原審第一回公判期日において右起訴状朗読後被告人は「公訴事実中認められるのは一、被告人が日本人であること一、本邦から本邦外の地域に出国したことの点だけである。被告人が本件において主張したい点は第一、起訴状では出国の日時が明確にされていないばかりでなく、被告人の常識では納得しがたい点がある。即ち検察官は昭和三四年一二月上旬までの間に出国したというが、被告人が本邦に引揚げて帰つたのは昭和三四年一二月一五日である。従つて一二月一日に出国したとしても帰国まで約一五日で現今の日本と中華民国の交通機関の実情ではこの短期間に日中を往復することは不可能である。然るに記訴状が昭和三四年一二月上旬までの間に出国したとなつているのは検察官が事実を無視した暴挙に出たものであること、第二、出入国管理令は米国の要請により被占領下の日本政府が労働運動弾圧の為制定した憲法違反の悪法で、講和条約後直ちに撤廃されて然るべきものであるから、本法の適用には承服しがたいこと、第三、被告人は罪証隠滅、逃亡を企図したことはなく且つその本籍住居氏名もはつきりしているので即時釈放されたいことである」旨、弁護人は「刑事訴訟法は訴因の明示を要求し、できる限り日時場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定しなければならないとしているが、本件起訴状では昭和二七年四月頃以降昭和三四年一二月上旬頃までの間にと漠然指摘するだけである。若し被告人がその七年九月位の間に一旦帰国し再出国したということがあつたとすれば本件訴因と紛らわしいことになり本件では訴因の特定がなされていないというべきである。従つて本件は公訴提起の手続がその規定に違反しているものと思われるから、公訴棄却の判決を求める」旨、それぞれ被告事件について陳述し、検察官は第二回公判期日に「本件の訴因となる被告人の不法出国は昭和三四年一二月一五日に帰国したその帰国の直接原因たる密出国行為の内容をその対象とするものである。」旨釈明している。

公訴事実は、その事実の同一性を判断するに足りる程度に特定されることを要するものであることはいうまでもない。しかして公訴事実は人の行為的事実即ち原判決のいうところの一回限り生起した歴史的事実であり、当然時間、空間の具体的限定に基いた事実であるから、通常の場合時間、場所、行為の内容(方法)により特定されるものであり、刑事訴訟法第二五六条第三項も「訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定しなければならない」としているのである。しかしながら公訴事実は刑事訴訟手続による刑罰権行使のために要求されているものであるから、必ずしも正確な日時場所及び方法によつてのみ特定される必要はなく、他の何等かの手段により訴訟法の要求を満足する程度に特定し得れば、その特定に欠くるところなきものというべきである。前示検察官の釈明による本件公訴事実は、被告人が昭和三四年一二月一五日に中華民国より帰国した。その帰国に直接つながる、昭和二七年四月頃から昭和三四年一二月上旬頃までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦から本邦外の地域である中華民国に向け出国した事実ということになり、出国と帰国との一回必然的連関(二回出国して一回帰国するということはありえず、又一回出国して二回帰国するということもありえない。)よりして被告人の出国を問題とする本件公訴事実としては、訴訟法の要求する程度には特定されているものと解すべきである。原判決はこの点について、「かような釈明は本件公訴事実の不特定さをそれ以外の事実によつて間接的に補充する観念的な方法の域を出でず、本件公訴事実の同一性を識別させる具体性、客観性を有し得ない。」というのであり、昭和三四年一二月一五日の帰国の事実はその出国の事実についてはまさに間接的な事実であり、右帰国の事実の主張により出国の事実を特定することは右所論のとおり観念的な方法であるとはいえ、前に説明したように帰国と出国との一回必然的連関よりして前示帰国の事実に関する主張により本件公訴事実としての出国は特定されたものと解すべきである。原判決は本件期間内における二度出国の問題について苦慮しているけれども、仮りに二度出国の問題が生じたとしても本件における出国の事実は前示特定の帰国という事実を利用して特定された関係上、本件期間内における他の出国も本件の帰国以外の特定の帰国の事実により特定する以外には本件公訴事実と異なる出国の事実を特定し、主張することが困難となり、公訴の効力判決の既判力の及ぶ範囲等につき困難な問題に逢着することは殆んどない。只前示釈明による本件公訴事実も、本件の公訴時効は外国にいる期間と雖も当然には停止しないとすれば、右公訴事実の日時の表示としての期間は本件公訴時効完成の期間を含むこととなり、本件公訴の提起は直ちに適法と断ずるわけにはいかないこととなる。しかしながら、犯人が国外にいる場合には時効はその国外にいる期間その進行を停止し、捜査官において犯罪の発生又はその犯人を知ると否とを問わないものと解すべきであるから(昭和三四年(う)第一二七七号、昭和三五年二月二三日大阪高等裁判所第二刑事部判決参照)本件公訴の提起はこの点においても適法であるというべきである。

従つて、本件公訴はその公訴事実訴因が全く特定せず、公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとして、本件公訴を棄却した原判決は不法に公訴を棄却したもので、到底破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三七八条第二号、第三九七条、第三九八条に則り、原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本寛 大曲壮次郎 古賀俊郎)

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